新卒5年目でようやく退職できた。
「仕事辞めたい。」
周囲に何度もそう漏らしながら、新卒で入社した会社を、5年以上も辞めることができませんでした。
今いる環境から抜け出すのにこんなに勇気が必要になるなんて知りませんでした。
仕事がどうしようもなく辛く、ここから抜け出したいと訴え続ける自分と変化が苦手で現状維持を望む自分との間に挟まれ、本当に苦しかったです。
仕事が辛い、もう辞めたい。
辞める勇気が出ない。
正社員を辞めるのが怖い。
それでも退職した今考えると、辞められないなりに数年間ずっともがき続けていました。
どうしても仕事を辞める勇気が出ない時は、いきなり思い切り無理をして決断するのではなく、徐々に少しずつ自分の意思で自分の人生に変化を起こす練習をするのはどうでしょうか?
「退職」という大きなストレスを一度に引き受けるのではなく、退職に向けて耐えられるレベルの負荷を少しずつ自分にかけ、自分の人生を自分で決める力をつけていくのです。
変化に弱い私は、この少しずつ退職する方法をとることで、最終的に退職の決断をすることができた気がします。
仕事を辞めたいと思った理由。
私は何の資格もないまま文系大学を卒業し、何となく受かった古くから続く企業で正社員の事務職となりました。
人とあまり会話する必要がなく、頭を使ってパソコンと向き合う事務職は苦痛ではなく、確かに自分に向いていました。
しかし1年目は仕事を辞めたいと考える余裕すらないほど忙しく、ただその日を生きるのに必死でした。
辛いことを辛いと感じる余裕すらなく、今思えばずっと心と体の限界ギリギリで生きていたと思います。
そのことにようやく気づき始めたのは2年目以降になってからでした。
長時間労働(残業)がきつい。
私が仕事で一番きつかったのは、長時間労働を当たり前とする会社の文化です。
配属された部署は毎月毎日の残業が当たり前の部署で、上司はワーカホリックでした。
私の残業時間は初月に60時間超え、その後1年間は平均45時間残業でした。上司に至っては初月100時間越え、その後平均80時間残業していました。それに加え休日出勤は当たり前で振替休日もありませんでした。
「そんなの普通だよ」「自分はもっとひどいよ」と言われるかもしれませんが、私にとっては十分にものすごく耐え難い労働環境でした。
新人の頃は、新しい土地や新しい職場、新しい人間関係に馴染むだけで精一杯、時間内に働くだけでも相当なストレスがあるのに、時間外も休日も全く休ませてもらえない。
ただ寝るためだけに家に帰る生活でした。
デスクで意味もわからず急に泣き出してしまったことが何度かあります。今考えたら、病院に行けば「心の病」で診断書がもらえたと思います。
でも新しい土地に一人暮らしで誰のアドバイスも受けられず、追い詰められていた当時の私にはそんな発想は全くありませんでした。
自分は何でこんなに根性がなく、メンタルが弱いんだろうと思っていました。
同じ支店に配属された唯一の同期は早々に診断書を提出し退職しました。同期は3年以内で約4割が退職しました。
今思えば、彼らの決断は素早く勇敢で英断でした。
しかし当時の私はあろうことか「根性がない」とバカにしていました。はるかに根性がないのは自分の方だったのに。
話はそれましたが、辞めたくなった最初の理由は、長時間労働が当たり前の労働環境でボロボロになっていたからです。
関連記事:【ブラック企業】残業が辛い、しんどい、辞めたい。月45時間以上の残業まみれの日々から抜け出すまでの話。
仕事内容がくだらない。
ではそれほどまでに身も心もボロボロにして自分の人生の若い時間やエネルギーを尽くした仕事なんだから、さぞかし価値があるのだろうと言われれば、
私は自分のやっている仕事に、それほどの犠牲を捧げるだけの価値をどうしても見出せなかったのです。
上司の些細なこだわりで全て仕事が1からやり直しになったり、議題がなく開く意味のない会議の準備をしたり、誰も読まない内容の薄い議事録を書いたり、行き帰りのタクシー代の方が高くつく生産性のない外出をしたり、(不満を上げればキリがありませんね笑・・・。)
そんなくだらないことのために、若い貴重な人生の時間を犠牲にして働いていると思うと、苦痛で仕方ありませんでした。
やる気が出ない、頑張れない。
いまだに遅くまで残業している人が賞賛され、赤字にもかかわらず生産性のない無駄な仕事を続ける会社に、なぜ貢献しなければいけないのかわかりませんでした。
私は会社に失望し、モチベーションがどんどん低下していき、ただ生活費を稼ぐためだけに会社に通うようになりました。
自分にしか見えない重りを持ち、動かない体を引きずって無理やり会社に通う日々となりました。
働くために生きているような日々。まるで会社の奴隷のようでした。
そもそもそんなに働きたくない。
働いてみて感じたのは、私はバリバリ働きたいタイプではないなということです。
「社会進出は女性の権利!」と叫ばれて久しいですが、それはバリバリ働きたい女性の主張であって、
女性の全員が全員、社畜のように働きたい訳でも、働かなくちゃいけない訳でもないと思うんです。
「人の役に立つ仕事がしたい」「社会に貢献したい」と就活ではそう言わされましたが、
でも本当はそんなのどうでもいい!!笑。
少なくとも自分の心と体を犠牲にしてまで、やりたいことなんて1つもないと思いました。
もっとプライベートを大切にしたい。心の余裕がほしい。
1日1日をゆっくり丁寧に味わって生きていきたい。私の望みはそれだけでした。
仕事を辞める勇気が出なかった理由。
こんな働き方はしたくない!という自分の価値観がようやくわかったのに、どうしても仕事を辞める勇気が出ませんでした。
なんとその後、約4年以上もずるずると会社に居続けることになります。
なぜ仕事を辞めたいのに、ずっと辞められなかったのでしょうか?
正社員を辞めるのが怖い。
仕事を辞めれば安定した給料がなくなることが不安でした。
損得だけで考えたら正社員を続けた方が得に決まってます。
ブラックとはいえ、給料は毎年増えていくし、年に2回のボーナスもあるし、福利厚生も充実していて、滅多なことでクビになることもありません。
おまけに人間関係が良好でした。小さないざこざはもちろんありますが、我慢できるレベルです。
人間関係に馴染むのに時間がかかる自分にとって、また新たな職場で新しい人間関係を築くことはかなりの負担になります。
転職エージェントに相談しましたが、正社員の事務職は募集が少ない&求職者が多いと言われました。
転勤や結婚といった、やむにやまれぬ大きなきっかけがあれば別ですが、ただ働くのが辛いという理由だけで正社員を手放す必要があるのかと考えてしまいました。
会社を辞めれば、もう一生正社員に戻れないかもしれません。そうなるとまずは派遣かバイトで働くことになります。
当時、正社員以外の雇用形態で完全に1人で生計を立てている人が身近にいませんでした。(実家暮らしだったり、旦那さんの扶養に入っていたりしました。)
正社員を辞めて、生活を維持するのがやっとの生活になってしまうのではないかと不安でした。
他社で通用するスキルがない。
社畜に働いているにも関わらず、自分に他社で通用するようなスキルが身についているとは思えませんでした。
仕事の大半は、社内の独自のルールやオリジナルの形式に基づいた仕事ばかりで、他社に行けばそんな知識は無意味な気がしました。
仕事への意欲はとっくに底をついていて、自分からスキルを身につける努力をする元気がないので、何か資格を取った訳でもなく、気づけばただ同じ仕事をダラダラと何年も続けているだけでした。
人生を自分で決めたことがない。
仕事を辞めたくても辞められない一番の原因は、自分の意志で自分の人生を大きく変えた経験がないことなのだと思います。
今に至るまで、なんとなく周囲の意見を聞き、流されるように生きてきた気がします。
今まで勉強も部活もバイトも、いくら辛くても自分から辞めたことがないので、いつのまにか我慢して続けることに慣れてしまったのかもしれません。
よく言えば、弱音を吐かない大人しく我慢強い子、悪く言えば、思い切った決断ができない意思の弱い子でした。
ただ学生時代は進学や就職など、いくら辛くても自動的に必ず終わりが来ることが決まっていたのです。
しかしこと仕事に関しては、転勤や昇進はありますが、基本的には自分の意思で決断しなければ一生同じ会社で働くことになります。
「いついつまで頑張ればこの苦しみは終わる」というわけではないのです。
自分で終わらせなければ苦しみが一生続くという、人生で初めての状況に遭遇し、どうしていいかわからなくなったのだと思います。
辞めれないなら少しずつ退職する。
仕事を辞めるということは、人生を左右する大きな決断であり、とてつもないストレスがかかります。
だから、当然なかなか決断ができません。
行きたくない会社に通い続けるストレスの方がまだ耐えられるから、続けることを選んでしまうんです。
でも仕事を辞めたい気持ちは心の底にずっとあって苦しんでいる。
そして「無理に仕事を辞めようとする&でも辞められない」を繰り返し、「自分はなんて弱いんだろう」とただただ自己肯定感が下がり続けることになります。
だからどうしても辞める勇気が出ない時は、仕事を辞める勇気を無理に振り絞ることを頑張るのではなく、
仕事を続けたままでいいから、いつか何かのきっかけが来たときに潔く辞められるように、
少しずつ会社と距離を置き、退職の準備を進めるのがいいのではないかと思います。
仕事の小さな不満から解消する。
私は会社より自分を優先して、仕事の小さな不満を少しずつ解消していくことから始めました。
「仕事を辞めたい」と思うようになったのは、きっかけとなった悩みや理由があると思います。
例えば私にとって「定時で帰りたい」というのは、残業まみれだった自分にとってこれはとても切実な願いでした。
この自分の心の望みを叶えるためには、自分の仕事が終わっていれば、周りが残業していても定時で帰る必要があります。
私は今までだらだらと残っていたのをさりげなく定時で帰るようにしていきました。
他にも「誘われた飲み会も行きたくなければ断る」とか「定時間近に頼まれた仕事を翌日以降に回してもらう」などするようにしました。
周囲の期待に背くという、今までとは全く反対の行動を取ることに、最初はとても抵抗を感じ、勇気が要りましたし、ものすごく時間がかかりましたが、
少しずつですが人目を気にせず、自分の心の本当の願いをしっかり聴き、それを尊重することができるようになっていきました。
仕事以外の外の世界に出てみる。
プライベートでは職場と無関係の人々と接する機会を増やすようにしました。
平日も休日もプライベートまで会社の人と一緒に過ごしていては「残業当たり前・会社が命」の価値観に洗脳されてしまうと感じました。
それはたった1つの会社の、たった1つの部署の、むしろたった1人の上司の価値観にすぎないかもしれないのにです。
もっと外の世界に出なければと思いました。
大学時代の友人からの誘いに積極的にのったり、週末の習い事を作り新たなコミュニティに参加したりしました。
そこでは主婦やパートや自営業の方など、正社員でなくても、大好きなことをのびのびとやり、幸せそうにしている人々がいました。逆に私より残業まみれで(確かSEさんでした)ボロボロの人もいました。
正社員にこだわらなくてもどうにかなるし、自分だけ心が弱い訳ではなく同じように苦しんでいる人もいるとわかったのが大きな収穫でした。
私の心が弱いわけじゃない、
同じように苦しんでいる人がいるんだ
生活防衛資金を貯める。
いざ本当に限界になった時のために生活防衛のための貯金を始めました。
会社員なら生活防衛費(生活の維持に必要なお金)は3ヶ月〜半年分ほど貯めておけばいいそうです。
退職後から3ヶ月で失業保険を受け取れるので、最低3ヶ月は欲しいところです。
いくら臆病な性格とはいえ、さすがにしばらく働かずに生きていける貯金があれば、少し大きな挑戦をしてもいいかなと思えるようになりました。
貯金があれば仕事を辞めても
しばらくなんとかなる!
派遣の求人も見てみる。
また就職活動をして正社員に転職するのは、なかなかのエネルギーが必要です。
今は何がなんでも正社員の時代ではなく、皆が自分の望む生活スタイルに合わせて柔軟に働ける時代です。
派遣であれば再就職しやすく、一定期間働けば正社員になる道もあります。
勤務時間も決まっていて融通が効くので、プライベートの時間も確保しやすいです。
一度派遣で就職し、相性が良ければ正社員を目指すという方法も全然アリだと思いました。
転職ではなく部署異動を申し出る。
転職ではなく部署異動をすることにしました。
とりあえず今の環境から抜け出したいだけなら、部署異動で十分。
企業の仕事の仕方や大まかな人間関係が変わらないので、環境の変化が苦手でも順応できると思いました。
転職は勇気が出ない。
部署異動ならできるかも!
そこで勇気を出して上司を呼び出し、部署異動を申し出ました。
上司からは前向きに考えてくれるとの返答があり、糸も簡単に、空きのあった部署への異動が決まりました。
自分の望みを自分で理解し、それを他人にわかるように伝え、自分の人生で実現するということを、
人生で初めて達成することができ、自分の望みは自分で叶えることができると知りました。
まとめ。
仕事を辞めたいと思ってから、実際に退職するまで5年以上かかりました。
1日9時間×週5日×5年以上+通勤往復2時間も、20代の時間を無駄にしてしまいました。
でもその間ずっとずっともがいていました。
少しずつ少しずつですが、自分の意思で自分の人生に変化を起こす練習を繰り返し、
その小さなあがきの積み重ねの結果、最終的に仕事を辞めるという決断ができたのだと思います。
会社を辞めることは、想像以上にものすごく勇気の要ることです。
バリバリ働ける勢いとエネルギーに満ちあふれた人は、迷いなく転職を繰り返していくでしょう。
でもそうでない人は、急激に変化しなくても、徐々に徐々に小さなステップを踏み、自分の望む方向へとゆっくりゆっくり舵を切るのも全然アリだと思うんです。
退職を決意した後は、自分の気持ちを尊重できたという自信が生まれ、誇らしい気持ちが芽生えました。
やっとの思いで勇気を振り絞って手に入れた時間を、今までやりたくてもできなかったことを思う存分やる時間に当てていくつもりです。
何かの参考になれば幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。