ブラック企業に入ってしまった。
この章には私の会社に対する恨みつらみ(笑)が書かれています。苦手な方は2まで飛ばしてください。
残業まみれの日々。
新卒で入った会社(事務職)は、残念ながら昔ながらの働き方が染み付いているブラックな会社でした。
就活でとりあえず受かったところに入ったので、経営が傾きつつあることにも気づけていませんでした。
1年目に定時で帰ったのは4月1日の1日間だけで、それ以外はすべての出勤日において残業をしていました。上司や先輩、嘱託さんなど、すべての人が毎日遅くまで残っていて残業が日常化しているようでした。
20時頃になってようやく「定時」を迎えるようで、ポツポツと最初の誰かが帰り始めます。その雰囲気の中で1年目の新人が自分だけ先に帰れるはずがなく、誰かが帰り始めるまで残っていました。
休日出勤は当たり前で、振替休日はありませんでした。
お金を使う時間も精神的余裕もまるでなく、残業代が貯まっていくばかりでした。
新人に教える時間がない。
新人の私に初めての仕事を教えてくれる先輩はたった1つ上の2年目の先輩でした。
4月は「何事も経験」ということで、指導してくれる先輩を含め、若手全員の仕事が同じタイミングで全て新しい業務に入れ替わっていました。
私に指導してくれる先輩はとてもやさしい、いい人でした。
でも自分の新しい仕事を覚えながら、今までやっていた仕事を私に教えるという究極に余裕のない状態でした。
必然的に、先輩は自分の新しい仕事をなんとか時間内にやり、時間外になってようやく私に仕事を教えるようになりました。
時間内は自分の仕事について何も教えてもらえず、時間外になってようやく夜遅くまでかけて教えてもらうという毎日の繰り返しで、先輩も自分も共に毎日疲れ切っていました。
時間外に大事な説明を受けても、まだ不慣れな1日を終えた後の私の脳みそはほとんど機能しておらず、先輩の話は頭に入らず、何回も同じ箇所のデータを打ち込んだり、間違ってデータを削除してしまったり、作業効率は最悪でした。
わからなくなった箇所を恐る恐る聞くと、やさしいはずの疲れ切った先輩が「それ前も言ったよね?」とイライラしながら言うので、申し訳なさと怖さで質問ができなくなりました。一か八かの自己判断で仕事を推し進めるとミスを重ねしなくてもいい仕事が増えていきました。
先輩が体力の限界を迎え「あとは明日にしようか」というまで、自分で帰る時間を決められなかったのが一番辛かったです。
入って半年くらいはそんな極限の精神状態でした。
根性で乗り切ろうとする現場。
私が社会人2年目に、とあるお金に関する仕事をしていたときのことです。
先輩から引き継いだその仕事は、私が入社するはるか昔から、いつも原因不明のお金の誤差が慢性的に発生しており、ずっと原因がわかっていませんでした。
毎回毎回「すみません、誤差の原因がわかりません。」と頭を下げて謝ることが仕事の一環のようになっていました。自分がなぜ謝っているのか私にはわかりませんでした。
ある月、見逃してもらえないほどの誤差が発生しました。
その誤差の原因を解明する責任はどうやら私にあり、私は思いつくあらゆる限りの自分でできることを試しましたが、それでも原因はわかりませんでした。
上司は真面目で今まで根性で全ての仕事を乗り越えてきたような人で、状況を打破するため上とかけあったり、わからないものはわからないと見切りをつけ次の策を考えたり、論理的に行動したりするよりかは、数万枚の伝票を1枚1枚ローラー作戦で日付が変わるまで確認させようとしました。
うまく説明できませんが、頑張って深夜まで死に物狂いで努力している様子を上層部に見せることで上を説得(あきらめさせる)しようとしたのです。
実際、その伝票の確認作業に意味はありませんでした。そんなことをやっても原因の究明にはなりません。なんのために何をしているのかまるでわかりませんでした。
日付が変わる頃上司はようやく帰っていいと言いました。
1年半後、誤差の原因がどうやら別の上司が収入確保のために新しく講じた策によるものであることがようやくわかりました。
内部事情を把握していない新人2年目には絶対にわかるはずのない原因でした。そんなことのために意味もわからず毎回謝り続けました。残業もたくさんしました。若い貴重な人生の時間をずいぶんと無駄にしました。
おかしいのは自分じゃなくて会社。
残業ありきの業務量。
配属された部署では、1ヶ月のうち半月以上は必ず残業が発生する仕組みになっていました。
「毎月初めに仕事が発生し、月半ばにその締切がくる」という仕事の性質上、その時期に業務量が増えるのは仕方のないことですが、
業務量が増えることはどう考えたってわかっているのだから、設備やシステムを整えたり人員を増やすなどして対処することは可能なはずです。
システムトラブルやクレーム対応など、残業とは本来、予想のつかない事態にどうしようもなく対処するために発生するものであるべきです。
毎月業務量が増えることが明らかにわかっているのに、業務負担を減らすための投資をせず、毎月社員に残業させる=社員を犠牲にすることでその穴埋めをしていることになります。
そんな会社は、社員のことを大切にする気のない会社、またはシステム投資をする経済的余裕がない会社ということになるでしょう。
人を育てる気がない。
私のいた会社は、毎年大量に新卒採用が行われる一方で、毎年大量の新入社員が辞めていっていました。
3年以内の同期の離職率は4割近かったです。
現場の多忙な状況を改善しようという気はなく、なんとか辞めなかった社員だけで現場をぎりぎり持たせている状況でした。
全国規模の会社にも関わらず、人材育成方法はマニュアル化されておらず、個々の独自のやり方におまかせといった状況でした。
現場は常にぎりぎりなので、教育係の先輩も自分の業務で必死、後輩の面倒を見る余裕はなく、人間関係も悪化していました。
辞めていく新人を見て現場は「最近の子は根性が足りない」「せっかく教えたのに無駄になった」「また人手が足りなくなる」と嘆いていました。
とりあえず大量に採用して現場に放り込みうまく順応しなければ次へという方針で、採用した社員をきちんと時間とお金をかけて教育する気はまるでありませんでした。
現場は常態化&根性論。
現場に残っているのは、会社の劣悪な環境にうまく順応してしまった人々ばかりでした。
辛い環境の中、自分達はそれでも辞めずに頑張ってきたというプライドが心の奥底にあるようでした。
長く勤めている上司ほど、会社のために身を尽くすことがもはや当たり前になっており、会社に愛着を持ち、残業体質もべったり定着していました。
そして何よりそれを新人にも求めました。
「こんなのシステム化すればいいのに」「どうしてこんなに効率の悪いことをしているのだろう?」と一歩引いて側から見ると疑問に思うようなことでも、1から100まで人の手で行い、問題が発生したら深夜まで身を尽くして努力し根性で乗り切るのが美徳だと思っているようでした。
若い人がどんどん辞めてしまい、必然的に現場の平均年齢が高くなっているのも一因かと思います。
残業ばかりで会社以外の人と関わるプライベートの時間を取れず、そんな考え方を持った会社のコミュニティの中に休日も含め、毎日12時間以上居続ければ、
現場の考え方についていけない自分がおかしいのではないかと思い込んでしまうという悪循環に陥っていたと思います。
残業まみれの毎日を抜け出すには。
最初のうちは残業体質について上司に働きかけたりしていましたが、全くといっていいほど効果はありませんでした。新人1人がいくら頑張っても、会社の体質や職場の雰囲気が変わることはまずありません。
長年その会社で働いている人にとっては、むしろその働き方が当たり前になっていて、仕事命のワーカホリックだったり残業代を稼げてラッキーと思っていたりなど、残業しても特に困ることがないようでした。
会社や上司が変わらないのなら自分を変えるしかありませんでした。
私は自分でできることを必死で探しました。
自分の仕事を効率化する。
まず自分に割り当てられていた仕事は残業をしなくても終えられるように効率化することにしました。
入社当初、割り当てられていた仕事で使っていたエクセルシートは長年代々引き継がれているせいで、少しずつ無理やり改変が加えられていて、全体から見れば非常に扱いにくい作りになっていました。
短い締切の中、エクセルシートを数回触るだけで仕事が終えられるように、これを1から全て作り直しました。その作業自体は手間がかかりましたが、その後は3時間くらいかかっていた作業を30分ほどで終えられるようになりました。
自分の仕事だけでいいから作業を効率化し、時間内に終えられるようにしました。
人目を気にせず定時で帰る。
次に自分だけでも定時で帰る習慣をつけました。
自分の仕事を必死で効率化し、いくら時間内に終えられるようになっても、部署の全員が残っている中で1人だけ定時で帰るのはものすごく勇気が必要でした。
他の人の仕事を手伝わなければならないのでは?という罪悪感との戦いでした。
ですが現実的に、新人の私に手伝える仕事はそんなになく、上司も好きで残業していますし、何より自分には時間外に新しい仕事を始める気力も体力もまったく残っていませんでした。
なので私は勇気を振り絞り、定時までに区切りをつけて仕事を終え、回せる仕事は翌日に回し、少し大げさに音を立てて机を片付け、誰に言うわけでもない小さな声で「お先に失礼します」とつぶやき、逃げるように職場を後にするということを1年ほど続けました。
社内で異動する。
自分に大きな負担をかけずに残業体質の職場から抜け出すには社内異動するのがいいと思いました。
同じ組織なので部署が変わっても基本的な仕事の進め方や方針は変わらないからです。
残業体質の部署で定時で帰れるようになった一方で、私は(もっと仕事をしてほしいという)上司の期待に応えられていない、部署の役に立っていないという罪悪感や、ゆえにこの部署で評価されていないという失望感でいっぱいでした。
頑張らなければならないのに、無理して頑張れば残業できるのに、わざと頑張っていない自分を責め続けていました。
残業が当たり前の、この部署に居続けるのは限界だと思い異動希望を出しました。
異動願いはあっさり通り、希望の部署ではありませんでしたが、残業のない部署に異動することができました。
異動先の部署は「みんな定時で帰るのが当たり前」という雰囲気で、同僚は定時で一斉に席を立ち、少しでも残っていると「なんで残ってるの?はよ帰りや」と怪訝な顔で声をかけられる始末でした。
部署が違うだけで雰囲気がこんなにも違うのかと驚きました。
自分だけが定時で帰っているという罪悪感を感じることはなくなりました。
会社を辞める。
それでも働き方改革が叫ばれる中、残業体質の部署にぎりぎりまでメスを入れず黙認し続けている会社というのは、組織として他にもなんらかの問題があるんじゃないかと思います。
私の会社の場合は延々と赤字が続いており、上司や経営陣は定年まで逃げ切ることを考えているようで、若い世代の働き方改革に手を出そうというような雰囲気は全くありませんでした。(法律で強く求められるようになってきたので最低限の対策を渋々と後手後手で対応している様子でした。)
残業体質以外にも、能力問わず年功序列で着任する管理職、時代に対応できていない古い組織体制、その場しのぎのコロナへの対応、現場の負担を減らすようなITツールや新しいシステムの導入をしないなど、将来性を疑問に思う点がいくつもありました。
最終的に会社を辞めることにしました。
関連記事:【正社員辞めます】私たちは生きるために働いているのであって、働くために生きているのではないから。
まとめ。
私は我慢の限界を迎え最終的に転職もせずにただ退職することになりました。
今は自由です。
日曜日の夜に憂鬱になったり、月曜日に仕事に行きたくない気持ちから解放されました。
コロナ禍の中、電車で往復2時間の通勤をしなくても良くなりました。
お局さんに愛想笑いをしたり、同僚に元気なふりをしたり、仕事をしない上司のフォローをしなくても良くなりました。
好きな時間に起き、適度な運動をし、コンビニやレトルトでない食事を作り、やりたかった勉強をし、読書をし、十分な睡眠時間を確保できるようになりました。
お金の心配はありますが、それでもただお金のためだけに自分の人生を会社に捧げるストレスから解放されました。
辞めてよかったと思います。
この先どんなにお金に困ろうとも、「どうしても辞めたい」という自分の気持ちを世間体や常識の何よりも優先したことを誇りに思います。
残業の多い会社に長く居ればいるほど、そこに所属している人々の生活や常識が、自分の「当たり前」になってしまいます。
仕事が終わった定時後や休日すらずっと会社に居れば、他の世界を知る機会が全くなくなってしまうからです。
その会社に適応できない自分が悪く、能力がなく、根性がなく、弱いんだと、つい思い込んでしまいます。
自分の世界で唯一所属しているコミュニティに背く行動をとることは容易なことではありません。もちろん会社を辞めた経験なんて一度もないのでめちゃくちゃ怖いです。
でも働くために生きているかのような、会社に身を捧げるだけの日々に違和感を感じ、ボロボロになっている自分の心に気づいているなら、自分をその日常から救い出すための努力はするべきです。
残業なんてしている場合じゃない。
日本人は「やめる練習」がたりてない (集英社新書)